1920年代のアメリカ映画
映画すなわち活動写真はエジソンの発明によるが、これに芸術を加えたのがフランスでありイタリアであった。そのころアメリカは彼らのあとに従う幼稚さであった。ところが活動写真がアメリカに黄金の運命をもたらした。それは第一次大戦によるアメリカの活気、カリフォルニアのハリウッドへと東部のスタジオを移したことだった。かくしてアメリカは広大なハリウッドの土地で自由なキャメラで連続活劇とドタバタ喜劇を製作した。アメリカ映画はグリフィスの詩情、デミルの豪華なるスペクタル、それにストロハイムの写実主義という三大監督が三つのスタイルでアメリカ映画を世界のアメリカ映画に発展させた。また喜劇が痛快で、チャップリンをはじめ、ロスコー・アーバックル、バスター・キートン、ベン・タービン、ハロルド・ロイドがでた。かくて1920年代、アメリカ映画は、メリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、グロリア・スワンスン、ウォーレス・リード、さらにルドルフ・ヴァレンチノなどのスターの時代へとその華麗なる発展をとげていった。1920年代後半といえばジャズ時代、映画はサイレント時代なるもこのジャズ時代と結びつかぬわけはない。映画は、モダン・ガール、モダン・ボーイ、その当時のチャールストン・ダンスに明け暮れるパーティー映画も盛んに製作された.映画では陽気なアメリカ人が十分に表現され、アメリカ映画は世界中のあこがれとなっていった。しかし突然の大不況。かくてアメリカ映画危うしの土壇場でアメリカ映画はトーキーへとその危機を切り抜けてゆくのである。(参考:淀川長治「1920年代のアメリカ映画」世界の歴史月報17)
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