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2006年8月10日 (木)

ハーマン・メルヴィル「白鯨」

    1814年、北米捕鯨業の中心マサチューセッツ州ニュー・ベドフォード。海にあこがれを求めてやってきた、風来坊のイシュメールは「捕鯨館ピーター・コフィーン」に宿を求め、同室の銛打ちクィークェグと無二の親友になる。クィークェグは全身刺青だらけの蛮人だが案外の善人である。翌日イシュメールは、教会で昔は銛師だったマップル神父の説教を聴いた後、奇妙な男エリジャーの警告にも屈せず、老朽捕鯨船ピークォド号の乗組員に雇われる。船長の名はエイハブ。鯨骨の義足を不気味に響かせ、顔面に深い傷痕を持つ彼の姿には、威厳と共に何かしら陰惨な、物に憑かれたような感じがあった。彼は以前、モビィ・ディックと呼ぶ白鯨に片足をもぎ取られて以来、復讐の一念に凝り固まっていた。

   今度の航海も目的は同じ。何も知らずに乗り組んだ荒くれ船員たちは、一日、彼の白鯨追跡宣言に驚いたが船長の狂熱ぶりに感染、賞金のスペイン金貨を得んものと夢中になる。唯一人理性を失わぬ一等運転士スターバックは、神を恐れぬこの行為に反対したが一蹴された。鯨群を追うピークォド号は、途中、ロンドンに船籍を持つサミュエル・エンダビイ号に出会う。船長のブーマーが白鯨を捕り逃したというと、エイハブは怒って彼を自分の船に追い帰す。やがて同じ捕鯨仲間のレイチェル号にもめくりあう。ガーデナー船長は、12歳になる息子を先日、海で見失い、血眼になって探し回っている。だが彼の協力の懇請も、エイハブには時間の浪費としか思えない。

    数刻後、嵐が船を襲う。だが強風にもエイハブは帆を下ろせと命じない。怒ったスターバックとエイハブは豪雨の中に対立。だがエイハブの形相と白鯨への執念に、スターバックもたじろぐも、嵐は去る。

    遂に宿敵のモビイ・ディックを発見し、4隻のボートが下ろされ、巨鯨との戦闘が開始される。しかしモビィ・ディックの背中へよじ上がり憎悪の銛をぶちこむ。エイハブは銛鋼の巻込まれ、怒り立った鯨もろとも、海中に姿を没する。ボートは白鯨の巨大な尾で砕け散り、スターバックが指揮するピークォド号も沈没。ただ一人生き残ったイシュメールは、クィークェグが船大工に作らせてあった棺桶の背で一昼夜を漂流した後、レイチェル号に救い上げられた。

                            *

   あらすじを紹介すると、単なる海洋冒険小説のようだが、原作のすごさは、詳細な記述、作者の知識の豊富さに感心させられる。「白鯨」を皮肉って「鯨学講義」とか「捕鯨ハンドブック」と名づけてもよさそうな、詳細なものです。そして、鯨とは何かをめぐってありとあらゆる知識と思想をてんこもりにして、結局「わからん」というのだから始末が悪い。自分にはすべてがわかると信、科学で武装した唯我主義者エイハブの破滅に作家メルヴィルのいわゆる不可知論が反映されている。メルヴィルはカント以下のドイツ・ロマン派哲学の影響下に思いっきり、知と不可知をめぐる大哲学小説を書いた。文学には楽しませる面のほかに、「教える」という知的な面があって、その両面が面白い具合に絡まりあった時、長い年月や国境を越えて読み継がれる名作がうまれるのである。

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