無料ブログはココログ

« 切れたナイロンザイル | トップページ | 谷崎潤一郎の大震災後の足どり »

2006年8月24日 (木)

マレー沖海戦

   昭和16年12月、マレー半島東方沖において、上陸部隊を支援する南遣艦隊司令長官・小沢治三郎中将は、悪天候のため英艦隊を発見できず、航空隊にすべてをかけた。第1航空部隊は、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルスを発見し、集中攻撃により、あっけなく沈めてしまった。航空機が航行中で戦闘態勢にある戦艦を沈めた、という戦史上かつてない戦果を達成したマレー沖海戦の結果は、真珠湾に続いて全世界の海軍関係者に大きなショックを与えた。とくにチャーチル首相は、「これまでにない大きな衝撃を受けた」とその回顧録に書き残している。以後、戦艦は航空機に海戦の主役の座を明け渡すことになったのである。

« 切れたナイロンザイル | トップページ | 谷崎潤一郎の大震災後の足どり »

日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 切れたナイロンザイル | トップページ | 谷崎潤一郎の大震災後の足どり »

最近のトラックバック

2025年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30