和辻哲郎と夏目漱石とニーチェ
和辻哲郎(1889-1960)は、大正2年、最初の著書『ニーチェ研究』を刊行、その直前に夏目漱石に手紙を書き送ったが、その夜偶然に帝国劇場で漱石にあう。漱石よりあたたかい返事をもらい、漱石山房を訪れる。
その後、和辻は、古代日本に「ディオニュソス的なもの」を見いだして美的な日本回帰を遂げ、『古寺巡礼』(大正8年)によって古代ブームを巻き起こした。大正14年には京都帝国大学に就職し、昭和2年にはヨーロッパに留学して、その際の船旅の途上における直感的な観察は、その後『風土』(昭和10年)として結実した。また、近代ヨーロッパの自己完結的な倫理学を構想して、『人間の学としての倫理学』(昭和9年)以降の著作で展開したが、それは彼が嫌がっていた「国民道徳」や京都学派の「世界史的立場」ないしは「近代の超克」の論理にも通ずる滅私奉公的倫理観も準備するものであった。
和辻は昭和9年に東京帝国大学倫理学科教授となり、『倫理学』(昭和12年-24年)では、ヘーゲルの体系を模索した構成の中で「自我」の滅却による和の倫理を家族国家観と接合させた。ここでも『ニーチェ研究』における意識的な「自我」の克服による宇宙的な「自己」への解脱という図式は見事に一貫している。戦後、『倫理学』を改訂して国家を超える国際法の次元を取り入れることで国家主義を是正する方途を探り、『鎖国』(昭和25年)で近世の日本の閉鎖性を批判した。
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