藤木九三とロックガーデン
藤木九三(ふじきくぞう、1887-1970)。京都福知山生まれ。早大英文科中退。東京日日、やまと新聞を経て朝日新聞に入社。
阪急電鉄神戸線が開通まもない大正末期ごろ、若い新聞記者・藤木は芦屋川駅付近の車窓から見える六甲山の岩肌を見て興味を覚えた。その後、彼はこの岩場で、岩登りの練習を重ね、わが国初のロッククライミングRCCを創設した。1926年1月のことである。そしてこの岩場を「ロックガーデン」と命名した。
現在、芦屋川上流のコース入り口の高座の滝の左壁には、藤木の顔のレリーフがある。毎年、藤木の誕生日(9月30日)に近い日曜日には藤木祭が開かれている。
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登山家藤木の登山歴を概述する。1916年夏、東久邇宮の槍ヶ岳登山に同行報道する。19924年1月、有峰から上ノ岳積雪期登山。6月上旬、槍平小屋から残雪の南岳、奥穂縦走。1925年8月、早大隊と前後して北穂高滝谷を登攀した。1926年、ヨーロッパに遊びモン・ブラン、フィンシュターアールホーン、マッターホルン、モンテ・ローザなどに登り、秩父宮のお供をした。1934年12月、京大の厳冬期白頭山登山隊に報道部員として参加し、極地法登山について広く一般に紹介した。1936年12月には四国石鎚山冬期登山を記録した。
著書は『屋上登攀者』『槍・穂高・岩登り』『雪・岩・アルプス』『雪線散歩』『雪表縦走』など多数ある。新田次郎『孤高の人』では、主人公のよき理解者で関西登山界の大立者の藤沢久造として登場する。また甲子園球場の「アルプススタンド」の名付け親でもある。
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