夏目漱石とニーチェ
夏目漱石が『吾輩は猫である』を執筆していた明治38年11月から39年夏までの創作メモをみると、しきりにニーチェの『ツァラトゥストラ』を異常な関心でもって熟読玩味したあとがみられる。
近代的自我の確立は当時の知識人の重要な課題であった。自己本位の立場を確立とようとしていた漱石にとって、自己を神となすほど自我の絶対の主張者ととらえていたニーチェは、その意味で共感の対象でもあった。しかし自己追求の結果、生の目標としてニーチェの説く理想が超人であったとすれば、それは自ら極度の神経病に悩まされていた漱石の救いとはならず、むしろ自己滅却の東洋哲学にこそ救いがあると考える。ここから一転、西洋近代批判が始まり、個性尊重の西洋の悲劇、ひいては西洋追随の日本の将来の悲劇をみることになる。
余談であるが、漱石門下から生田長江のようなニーチェ訳者、和辻哲郎、阿部次郎、安倍能成のようなニーチェ研究者、またニーチェへの関心をもち続けた芥川龍之介のような文学者が輩出するのも、漱石とニーチェの関わりに一因するのかもしれない。
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