2008年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

« 珊瑚海海戦 | トップページ | 田中王堂と石橋湛山 »

2006年8月13日 (日)

島村抱月・松井須磨子 許されざる恋

   島村抱月(1871-1918)。早大講師をへて、明治31年三省堂の辞書編集に携わる。明治35年早大の海外留学生として渡欧。明治38年帰国後、早大教授として美学・文芸史などを講じ、文芸協会の演劇指導者として活躍。恩師坪内逍遥のあとをついで早大文科の中心となっていた。しかし、抱月は松井須磨子と恋愛関係におちいり、妻も師も捨て、大正2年芸術座を結成した。大正7年、流行のスペイン風邪にかかって急死する。

    松井須磨子(1886-1919)。長野県松代町清野村に生まれる。本名を小林正子という。二度結婚したが、不遇で、文芸協会演劇研究所の生徒募集をみて応募した。明治42年、24歳の時である。研究所で坪内逍遥、島村抱月、東儀鉄笛らの教育を受けて開花したが、恩師抱月と恋愛して、協会会長の逍遥から諭旨退会を命じられた。研究所時代に「人形の家」のノラで頭角をあらわした須磨子は、抱月の決意で独立、大正2年、二人が中心となって芸術座を創立した。「モンナ・ワンナ」「復活」「サロメ」「沈鐘」などの翻訳劇で情熱的な舞台をつくりあげ、先駆的な女優としての役割を果たした。大正3年、「復活」の劇中に須磨子によって歌われた「カチューシャの歌」は大ヒットした。「カチューシャかわいや別れのつらさ せめて淡雪とけぬまに 神に願いをララかけましょか」。その後の演目にも劇中歌をとりいれた。ツルゲーネフ『その前夜』には「命短し恋せよ乙女」、トルストイ『生ける屍』には「行こか戻ろかオーロラの下を」。

   島村抱月が大正7年11月に急逝すると、孤立した須磨子は、大正8年1月5日、牛込の芸術倶楽部の一室であとを追って縊死した。

   

「日本文学」カテゴリの記事

コメント

どうしても知りたい歌詞があります。
沈鐘と言う劇中で唄われた【水藻の花】
と言う歌の歌詞をご存じないでしょうか、
色々と探しておりますが見つかりません。
もし、ご存知でしたらご教示頂きたく
お願い申し上げます。

遠藤様、お探しの「水藻の花」の歌詞がわかりましたよ。本文の記事を御覧ください。

こんにちは
浅草オペラの伊庭孝さんの乾杯の唄
歌詞ご存知ありませんか

著作権は切れているとの記事はあったのですが内容を見つけ出せませんでした

清海様、違っているかもしれませんが、それらしき歌詞があります。ブログ記事「天使の歌声ディアナ・ダービン」をごらんください。

コメントを書く