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2006年8月22日 (火)

漱石と鴎外の女性観

   小宮豊隆は『漱石と恋愛』で、夏目漱石ほど「恋愛を通して自分自身を高めていった人は、恐らく外にあまり類がない」と書いている。描かれる女性も愛をめぐって一様ではなく、きわめて魅力的に変幻するのである。ことに当時の自然主義文学に較べて自我と個性を持ち、一貫して人間的に存在を主張している点に、漱石の女性観がうかがわれる。

    森鴎外も明治42年1月、「スバル」創刊号に戯曲『プルムウラ』を発表し、以後、女性が主人公になる戯曲を次々に書いている。大正7年に「婦人、母、子どもの権利を守る」ために新婦人協会が結成された際には助言している。趣意書から規約まで丹念に読んで朱筆までし、鴎外の女性解放運動へのきめの細かな助言について平塚らいてうが述べている。近年の研究によると、鴎外の婦人解放への関心は、ドイツ留学時代の体験にもとづいているらしい。 夏目漱石は弟子たちの文筆活動によって、かなり人格者のイメージが形成されてしまったが、実像はかなり頑固で偏狭な性格であったようだ。近年再評価が高まる京都画壇の日本画家、木島櫻谷への酷評などその一例であろう。

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