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2006年8月19日 (土)

夏目漱石のイギリス留学

   明治33年9月、夏目漱石(33歳)は英語研究のため、文部省留学生となって、イギリス留学を命ぜられた。ドイツ船プロイセン号で横浜を出帆し、パリを経て、10月ロンドンに到着した。

   留学費は年1800円だった。これで、ケンブリッジなどの名門大学へはいり、本を買うことはできない。大学入学をあきらめ、ロンドンの下宿で本を読む方針にした。もっとも、シェークスピア研究家クレイグの個人教授を受ける一方、ユニバシティー=カレッジでカー教授の講義をきいたけれども、大学聴講は面白くなく、一月でやめてしまった。

   いったいに、漱石のロンドン生活はゆううつだった。「狼群に伍する一匹のむく犬のごとく、あわれな生活」を味わい、英国ぎらいになった。漱石は、ロンドンに来て、イギリスの学者の専門外のことについての無知を知り、彼らに対するかいかぶりを悟った。化学者の池田菊苗と同居して、いろいろと啓発された。こうして生活を極端にきりつめ、時にはパンと水だけでがまんをして、本を買い、発狂とうわさをたてられるまでに、学問にうちこんで、神経をいためた。

   正岡子規の死の報をきいた年の暮れにロンドンをたって、明治36年1月、東京に帰った。東大ではラフカディオ・ハーンの後任となり、シェークスピアの評釈のほか、『文学論』や『十八世紀英文学』(後の『文学評論』)を講じ、独創的な文学論の体系、みごとな英文学史論だった。しかもこの講義に心魂をうちこみ、神経衰弱を昂じさせたほどだった。

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