:ケネディを沈めた男・花見弘平
アメリカ合衆国大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは、第二次世界大戦中は海軍で軍務に服し、ソロモン海域で哨戒魚雷艇(PTボート)の艦長だった。
昭和18年8月1日、駆逐艦天霧以下4隻の駆逐艦はコロンバンガラ輸送作戦の帰途、闇の中に魚雷艇を発見した。天霧は前進全速、魚雷艇に体当たりした。魚雷艇は両断されて沈没した。この魚雷艇PT109の艦長こそ若き日のジョン・F・ケネディ中尉だった。
昭和26年秋、下院議員として来日したケネディは、出迎えの国連協会の細野軍治に言った。「私は、南太平洋で戦った。そして、私の魚雷艇が撃沈されたことは、忘れ得ぬ思い出だ。私の艇を沈めた駆逐艦長に、ぜひ会いたい。さがして貰えないだろうか」
海戦の日時、位置は、はっきりしていた。細野はさっそく第二復員局で調べた。駆逐艦天霧艦長、海軍少佐、花見弘平。しかし、花見は福島県に住んでいる。ケネディはその翌日に日本を離れなければならない。ケネディは心を残して、機上の人となった。
かくして二人の再会は実現しなかったが、その後連絡を取り合うようになった。「昨日の敵は今日の友」太平洋戦争が生んだ男たちのドラマだった。
« 夏目漱石とニーチェ | トップページ | 京都府立図書館と竹久夢二 »
「世界史」カテゴリの記事
- 李氏朝鮮はなぜ元号がなかったのか?(2023.05.24)
- ハインリヒ5世(2023.05.23)
- 劉裕と陶淵明(2023.05.22)
- ポーランドの英雄ヤン・ソビエスキ、国王に即位する(2023.05.21)
- ゴンブルサ事件(2023.02.18)
コメント