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2006年7月 3日 (月)

福沢諭吉、英語を独学する

    安政5(1858)年、25歳の福沢諭吉は、藩の命令で江戸にでて、築地に蘭学塾をひらいた。ある時、彼は横浜に、自分のオランダ語が通じるかどうか、ためしに出かけた。その頃の横浜には、幕府が開港していたため、たくさんの外国人がやってきていた。結果は、諭吉のオランダ語はまったく通じなかった。というのも、話している外国語も、外国語の看板も、ほとんど英語だったからだ。これからの時代は英語を学ぶ必要を痛感した諭吉は、日本語に訳した辞書がないので、英語とオランダ語を対訳した辞書を使い、英語を独学した。

    その後、諭吉は3度海外旅行に行った。第1回は、1860年、咸臨丸でアメリカへ。第2回は、1861年、イギリスなどのヨーロッパへ。第3回は、1867年、アメリカへ。この3度の渡航経験で、西洋の文化を見聞した諭吉は、慶応義塾を開校し、「天は人のうえに人をつくらず、人の下に人をつくらず」という文章で有名な『学問のすすめ』などの本をあらわし、日本の近代化に尽くした。

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