小成に安んじない
川崎正蔵(かわさきしょうぞう 1837~1912)の少年時代、家産は傾き、父は死ぬという不運がかさなった。こうなると親戚などは不人情なもので、母子は情けない仕打ちに口惜し涙にくれる日が続いた。
奮起した正蔵は17歳のとき、当時貿易の盛んだった長崎に行き、綿布の安いのに目をつけ、これを仕入れて鹿児島で売る商売を始めて、かなりの金をもうけることができた。
母は「その金で、家を建て直し、不人情な親類を見返しておくれ」と言ったが、正蔵少年は「いま、家を建てれば、商売の資金がなくなってそれでおしまいです。それよりも、しばらく辛抱して、この金を商売に使い、大きくもうけたときこそ立派な家を建てましょう」と慰め、後日、その言葉を実現した。
汽船会社副頭取として琉球航路を開設、沖縄の物産を特権的に販売、資本を蓄積した。明治11年、造船業に転じ明治20年、神戸に川崎造船所を設立、松方幸次郎を後継者に迎え、発展の基礎を固めた。
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