安藤昌益
安藤昌益(1703~1762)は、秋田県大館市の二井田(にいだ)村で生まれた。14~15歳頃仏門に入り、30歳前後で印可を受けたらしい。その後、宗門から離脱して京都で修行して医者になる。その後、1744年、青森県八戸に居住(42歳)。1754年に『自然真営道』を著す(52歳)。昌益は、「自然の世」(しぜんのよ)こそ理想の社会であり、すべての人が自然の理法の中で正しく働き、必要な産物を自ら生産して生活し、貧富も上下の支配関係もない、平等な社会を説いた。このような昌益の封建批判の進歩的思想が、明治になって狩野亨吉により紹介されたが、近年は昌益のエコロジー(生態学)的発想が注目されている。
参考文献:『忘れられた思想家 安藤昌益のこと』E.H.ノーマン 岩波新書 1950、『安藤昌益全集』 全21巻別巻1 農文協 1982、『写真集 人間安藤昌益』 農文協 1986
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コメント
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こんにちは。
嬉しいです。頑張って下さい。今日のお昼は、「さくら」の再放送の第123回を見ます。
投稿: ミリオン | 2024年2月 6日 (火) 13時35分