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2006年7月 2日 (日)

国木田独歩の女性観

    国木田独歩と佐々城信子との恋愛と失恋の経験は、独歩の生涯の上に重要な位置を占める。信子は独歩の熱情にひかれ、親たちの反対をおしきって、貧しい独歩と結婚した。そして逗子に新居をかまえた。しかし富裕な家庭に育った彼女には、あまりにも理想とかけはなれた現実が耐えがたく、妊娠したことも夫には明かさずに失踪した。彼女をふかく愛していた独歩は、彼女の行方をさがし歩き、ついに発見してもとに戻ることを懇願したが、彼女は聞かなかった。独歩は自分の側の無資格や、悪条件にどうしても気づかなかった。以後彼は女性を禽獣視するに至った。もともとはロマンチストでフェミニストであった彼は、この苦い経験から、次のような女性観を抱くようになった。

「女は禽獣なり。人間の真似をして活く。女を人類に分類せるのは旧き動物学者の謬見なり。あらゆる女はその汚なき夢を覆はんが為に美しき恋物語を喜ぶ。渠(かれ)は自らの汚穢に堪へざるなり。」

「女にて余の小説を解し、余の小説を耽読する者甚だ少なしと云ふ。有難いこと哉。余も亦そを欲せず、渠等(かれら)にして余の小説を読まば、夜会服に盛装せる渠等の前に、恐らく裸体の写真を突付けられたる心地やせん。これ吾が姿なりし云ひ得るに苦しむべし。」

    実際に独歩の作品に登場する女性に理想的な佳人はほとんど見えず、その描写や扱い方は現実的であり、時にいやらしく肉感的であった。

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