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2006年7月23日 (日)

赤バットと青バット

    昭和20年11月23日、神宮球場。この日、戦後初の職業野球の試合が行われた。戦前のスターたちが勢ぞろいしたが、観客の目を釘付けにしたのはまったく無名の若者だった。大下弘22歳。

   大下の大学時代は補欠選手だった。ところが、明治大学先輩のセネターズの横沢監督に、大きな打球を飛ばしているのを見出されてプロ入り。公式戦が再開された翌21年には第1号がいきなり満塁ホームラン。その華麗な打球、白面の二枚目から「貴公子」と呼ばれ一躍人気を博することになった。

   同じ頃、巨人では一人の大打者がチームに復帰した。川上哲治。戦後郷里の熊本に引きこもっていたが、強い説得に折れ、再びグランドに戻ってきた。この川上に、日本野球連盟副会長の鈴木惣太郎が「赤いバットを使ってみる?」と耳打ち。並木路子の「リンゴの歌」からヒントを得たアイデアだった。

   これに対抗したのが、大下弘。「川上さんが赤ならオレは青だ」と青バットを使い始め、二人が打ちまくった。

   この年、大下は20本で本塁打王になった。これまでの記録が10本が最高であったから、大下はなんとその2倍ものアーチを量産したのだ。川上もこれに負けじと昭和23年に25本を打って本塁打王になった。巷には笠置シズ子の「ホームラン・ブギ」が流行り、戦後プロ野球は、ホームランとナイターでブームが到来した。

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