人はパンだけで生きるのではない
モーセは言う。「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあるごと、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」(申命記8章2~3)モーセは、神の助け、助言、律法がなければ、この世での収穫物も人間自身の知識も生存には不十分であると結論づける。さらに、それに背けば、人間は死ななければならない。(申命記8章14節)
「人はパンだけで生きるのではない」という言葉は、イエスが新約聖書で引用しているトーラーの多くの言葉のひとつである。ただし、イエスは「生きるのではない」を「生きるべきではない」に、言い換えている。
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