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2006年7月22日 (土)

丸目蔵人佐長恵(ながよし)

   丸目蔵人(1540~1629)は、肥後人吉(熊本県球磨郡錦町)に生まれた。後に石見守と称した。三人の弟とともに剣術を修行し、19歳で京都にのぼった時には、かなりの腕前であった。一説には塚原卜伝について新当流を学んだとも伝えられるがはっきりしない。後にタイ捨流(または、タイ捨新陰流)をとなえ、21流の奥義をきわめた人である。タイ捨流は、熊本をはじめ宮崎方面にも広がり、今も受け継がれている。

   丸目蔵人が上泉伊勢守と勝負したのは、永禄元年(1558)の上京した年である。上泉は木剣ではなく、考案したばかりの袋竹刀を用いた。「相手を傷つけるような稽古であってはならぬから」と上泉は説明したが、丸目は初めて見る道具であるだけに、内心軽く扱われているようで誠に不服であった。

   しかし、いざ立ち合って見ると、丸目などのとうてい及ぶところではなく、二度までも面をとられ、三本目は体にあたりを食って押し倒された。西国では多少知られた存在の丸目も、まるで顔色はなかった。上泉は「筋は良い」と評した。丸目はこれより上泉に入門し、一層の剣技をみがくこととなった。5年修行した後、丸目は穴沢浄賢、疋田文五郎、柳生但馬守とともに上泉伊勢守門下の四天王と称せられるようになった。

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