呉の孫堅 孫策 孫権
呉の始祖孫堅は後漢末に知られた武将黄祖と戦って敗死した。あとをついだ子の孫策は袁術から独立して江東を制圧し、余勢をかって許へ攻めのぼり、献帝を江東へむかえようとしたが、暗殺された。孫権は19歳で父兄の業を引きつぎ、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜を重用して、多くの人材を集め、中国東南に確固たる勢力を築いた。かれは江東の原住民である山越の反乱を平定して農業に従事させ、また屯田政策をとって農業の発展をはかるとともに、南海貿易にも手をそめて漢族の勢力圏を越南にまで広めた。
外交的には魏・蜀両国とのあいだに立って、和戦両様の関係をたもちながら独立を維持した。しかし、老年にいたって後継者の選定をあやまったため、稀代の暴君遜皓(そんこう)を帝位につけることになり、第4代にして亡国の悲劇をまねくことになった。
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