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2006年6月 8日 (木)

山下栄の司書検定試験必勝法

    高山正也のわが国の司書に対する評価の低さを昨日ご紹介した。司書の養成と教育は、現在大学教育の系列で行われているものと、文部大臣が各大学に委嘱して行う司書講習と呼ばれているものとが並行して行われている。司書講習は公共図書館の専門職員の養成が目標であり、1950年開設当初の教育課程は当時における現職者の再教育のために編成されたものであった。このような現行からの移行措置を「既得権の擁護」として断罪しているのである。ただわが国の司書職制度を論ずるのであれば戦後からではなく、戦前にさかのぼって論究する必要がある。1906年の「改正図書館令」によって初めて「司書」の任用資格と、館長・司書・書記の職制が規定された。1933年には図書館令・公立職員令の大改正があり、その職員令の中に司書検定試験に関する一項が新設された。山下栄(1907-1979)は戦後神戸市立図書館、尼崎市立図書館長と歴任されたが、若い頃の司書検定試験の体験をもとに「司書検定試験受験ノ栞」(昭和13年)を「図書館研究11-4」に発表している。この試験の特色はなんと受験資格を一切問題にしないことである。山下の文によれば「蓋し文部省の英断であろう。自学自習を原則的に建前とし生命とする我が図書館界にあって尚且つ、受験資格を云々している時代ではなかろう。志ある者に対し機会を均等にし門戸を開放すべきである。」と賞賛している。ところが実際の受験者はさほど集まらなかった。昭和11、12年度あわせて60人に対して35人が合格している。山下は第2回の昭和13年2月に合格している。31歳であった。18歳で今治市立明徳図書館へ書記官として勤務し、23歳で文部省図書館講習所で1年間学ぶ。24歳で大阪帝国大学付属図書館で在職中の31歳のときに合格したのである。どんなにうれしかったかことか推察できる。後輩諸生のために克明なる受験必勝法を執筆したのである。詳しい内容は項を改めて紹介することにする。

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