日本最古の閘門式運河
徳川川吉宗の意をうけた井沢弥惣兵衛(いざわやそべい)は、武蔵野国の見沼干拓(さいたま市)のため見沼代用水を完成させると、周辺の村と江戸を水運で結ぶため、用水路と排水路をつなぐ見沼通船堀の開削に着手。用水路と排水路には3mの落差があるため水門を設けて水位を調節し、船をさかのぼらせる工夫がされた。1731年、こうして日本最古の閘門式運河が誕生した。(参考:『図説日本史』東京書籍)
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